蛇の章
蛇の毒が(体の隅々に)広がるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者は、この世とあの世とをともに捨て去る。
~~蛇が脱皮して旧い皮を捨て去る様なものである。
走り流れる妄執の水流を涸らし尽くして余すことない修行者はこの世とあの世とをともに捨て去る。
~~蛇が脱皮して旧い皮を捨て去る様なものである。
無花果の樹の林の中に花を探し求めても得られないように、諸々の生存状態のうちに堅固なものを見出さない修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。
~~蛇が脱皮して旧い皮を捨て去る様なものである。
~仏教原始経典 スッタニパータより。
スッタニパータの第一章である、蛇の章の17の句のうち三つを抜粋してみました。
最も古い原始経典、スッタニパータは、ブッダが述べた言葉に最も近い言葉が伝えられているとされる経典です。
その第一章が、蛇の章なのですが(これは編纂されたものなので、第一章=初めに語られた、という意味ではない)まずそのはじめに蛇にたとえた詩が17句並びます。
南アジア一帯にはいたるところに蛇が生息するため、インドでは蛇はとても親しみのある動物で、霊力を持ち修行者を守ってくれる存在とされていたそうです。
原始経典だけでなく、神話、ヒンズー教など様々な思想のたとえに出てきます。
ここでは、怒り、愛欲、妄執、堅固なもの(常住である変わらないものであると信じ固執する)、貪り、悪い習性などなど、心の苦しみを生む原因の感情や思考を蛇が脱皮するように脱ぎ捨てていくことで、心を整えられると言っているのでしょう。
この17句に釈迦仏教の骨格ともいえる基本原則が集約されています。
実際、シンプルなこの蛇の脱皮のたとえはとても分かりやすいですよね。
「あの世とこの世とをともに」は原始仏教の成立したころはインド哲学・思想界では輪廻からの解脱が最大のテーマでしたから、これは素直に、輪廻からの解脱という風に解釈して差しさわりはないでしょう。
現代では輪廻からの解脱というのはピンときませんよね。
現代でいえば、得体のしれない苦しみから解放され心が軽くなる、という感覚でとらえてもいいかもしれません。
私自身、古い執着という皮を脱ぎ捨てて生きていこうといつも思います。
難しくいろいろ考えず、脱ぎ捨てるだけでいいのだと。
ひとつひとつ、過去の憎しみというものを脱いで、過去の悲しみというものを脱いで、少しずつ心が軽くなっていくのだと思います。
そうして、いろんな物を脱ぎ捨てた自分でちゃんと世界を見渡すと、どんな世界が待ってるのでしょうね。
次回より、少し詳しい説明をしていきたいと思います。
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