現代仏教の成り立ち2
さて、前回までで原始仏教が分裂して教団がいくつかに分裂したところまでをお話ししました。
この辺りから、現代の日本に伝わる大乗仏教というものが生まれます。
このころ、たぶん紀元前1世紀か2世紀ごろでしょうか、仏教教団の修行や戒律は厳格化され、出家者はただ自己の悟りを目指し、在家信者を救済するというようなことはしないようになっていったと考えられています。
在家者には不可能な戒律、修行になり、在家者はもうただ布施を施す存在となっていました。
さて、少しさかのぼりますが、ブッダが入滅されたときに、遺骨が八つの部族に分け与えられたといわれています。
そして、その部族の長たちはそれぞれ塔を建てました。
それが今の仏塔の始まりだといわれています。
部派仏教の教団に締め出された在家信者は、そのブッダの遺骨がある仏塔を巡礼し、花をささげたり、装飾品を飾ったり、食べ物をささげたりと自分たちができる供養を始めました。
そしてそこから在家信者や、部派仏教教団に所属しない学者や修行者たちの新しい運動が起きます。
これが大乗仏教の芽生えではないかと考えられています。
厳しい修行と戒律による自己の悟りというものから、修行者は多くの人に法を解き、開かれた教えにすることを目標とする運動です。
この辺りはとても諸説あるので一概には言えませんし、もっとたくさんの要因もあるでしょうが、根本的に、ブッダの教えが教団によって複雑化され、占有されたことが新たな運動を生んだことは間違いないでしょう。
そして、新しい経典が生まれます。
菩薩行、すなわち人を教化し救うことが悟りの道だという、新しい修行法の教団の誕生です。
それが中国にわたり、そして時間とともに、様々な複雑化した解釈と派閥が生まれます。
その後、日本に入ってきたことはもう説明するまでもないでしょう。
これが主な現代仏教に至る道のりです。
部派仏教も、大乗仏教も結局、分裂して特権化してを繰り返しています。
どちらも初めは安らかに穏やかに生きるための法の修行だったはずです。
衆生救済に立ち返った大乗仏教運動も、数多くの経典を生み出し、教理の解釈の競争になり権威を争うようになりました。
また開かれた教えのはずが結局、密教化したり。
現在の仏教を見ると原始仏教とは異質なものも多々散見されます。
しかし、その齟齬を認めることはなく、そのブッダの言葉の真意はこうだと言います。
はじめにブッダは法を説こうとしなかった、と書きましたが、まさにこれを予見していたのではないかと思います。
人は宗教教理を秘密のものとして人を支配しようとする。
いずれ論争し、分裂し、始めの理念は失われる。
やはり、自分の思想というのは、教団として成立しにくいものだと。
特定の思想として成立させてはいけないと考えていたのでしょう。
もちろん、すべてを否定しているのではありません。より正しく解釈しようとして発展した部分もありますし、大乗仏典独特の素晴らしい思想もあります。
原始仏典にはこうあります。
「如来の説示した法と律とは、光明に光を放ち、秘密に覆われることはない。」
「如来の法には師の拳なし。」
私は包み隠さず説いた、
何らかの秘密を自らの拳に握りしめたりしていないと。
原始仏教経典を読んでいるとそのような気がしてなりません。
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