こよなき幸せ
さて、原始仏教はいわゆる「真理」や深淵なる非人間的な「悟り」の世界を教えたものではないだろうとこれまでに書きましたが、ではブッダはどのような状態を「幸せ」といっていたのでしょう。
スッタニパータの第二の章、小なる章の中の「こよなき幸せ」という句に記されていますのでいくつか抜粋します。
「深い学識があり、技術を身に着け、身を慎むことをよく学び、ことばがみごとであること ー これがこよなき幸せである。」
「父母につかえること、妻子を愛し守ること、仕事に秩序あり混乱せぬこと - これがこよなき幸せである。」
「尊敬と謙虚と満足と感謝と(適当な)時に教えを聞くこと - これがこよなき幸せである。」
「耐え忍ぶこと、ことばのやさしいこと、諸々の(道の人)に会うこと、適当な時に理法についての教えを聞くこと ー これがこよなき幸せである。」」
「世俗のことがらに触れても、その人の心が動揺せず、憂いなく、穢れをはなれ、安穏であること - これがこよなき幸せである。」
スッタニパータ258~269より抜粋
もうこの句に関しては説明は不要というほど簡潔に述べられていますね。
現代に当てはめてみても、まったくその通りだと思えることばかりではないでしょうか。
人間が人間らしく、人として生きること。
そのように理法にかなった考え方、生き方をすることで真の人の幸せが訪れる。
そしてそこにしか幸せはない。
とのブッダの思想がよく伝わってくる句です。
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